目を開けると。
目を開けると町の中。
そこは雑踏の中。
僕はは一人立つ。
そうして今日が始まった。
この世界には(も?)男と女がいる。
だけれど男の方が圧倒的に多くて女が圧倒的に少ない事を知った。
僕と同時期にここで産まれた女。
僕と一緒で魔法使い。
とても足の綺麗な女。とても髪の綺麗な女。
久し振りに見掛けた。とても豪華な服を着ていてとても豪華な杖を携えていてとても強そうな人達と楽しげに笑顔で談笑していた。
僕はと言えば産まれた時から変わらない粗末な服に粗末なナイフ。そうして一人ぼっち。
僕は女を物凄く遠くに感じてしまった。僕は女に対して心底腹が立った。そうしてそう腹が立った自分が物凄く恥ずかしくなった。
何故。何が違うのか。僕は何かを間違っているのか。でも誰かにそれを聞くのは断じて嫌だった。
狩りに疲れて森の木陰で休んでいた。今日も見事な程ぼろぼろにやられた。身体中傷だらけ。正直痛みに耐えるので精一杯。身体中のあちらこちらから血が噴出している。必死で戦った。その戦利品は小銭程度の金。もう溜息も出ない。ぼろきれで血をぬぐう。
治癒の魔法を覚えた。精神を統一して呪文を唱える。少しだけ、本当に少しだけ痛みが和らぐ。でもその変わり心が疲れる。何度も何度も治癒の呪文を唱える。その度に身体の痛みはどんどん取れていくのだけれど心がどんどん疲れてゆく。身体の次は心を休めなければいけない。少し戦っては休み、少し戦っては休み、少し戦っては休み。そんな毎日。一体僕は何をやっているんだろう。考えてはいけない事なのだろうけれど。
ボソボソと人の声がした。盗み聞きするつもりなんて全然無かったんだけれど今は本当に疲れていて動きたくても動け無い。どうしても聞こえてしまう。甲高い女の声。どうやら男からの貢物の自慢をし合っているようだった。何だか嫌な気持ちになった。早く立ち去りたい気持ちで一杯になる。その一言を聞いてしまうまでは。
「俺、本当は男なのにさ。簡単だよね。実際」
僕の何がいけないのかが理解出来たような気がした。本当はそうじゃあ無かったのかも知れないけれどその時の僕はもう本当に必死だった。
僕は女になる事に決めた。
髪の毛を染めた。
肌の手入れを念入りにした。そうして女がするように(それかそれ以上に)綺麗にそうして丁寧に化粧をした。
男だと見破られないよう色々工夫をこらして女の衣装を身にまとった。
いざ町に出ると矢張り恥ずかしかった。町中の人の視線が一気に集まったような気がした。一体僕は何をやっているんだろう。頭の中にはそればかり。もう辞めよう。僕には向いていなかった。もう辞めよう。もう辞めよう。もう辞めよう。僕には全然向いていなかったんだ。
人が大勢いる所にずっといるのは辛くて、その格好のまんま町の外へ出た。化け物が襲いかかって来る。
この姿のまんま化け物に切り裂かれるのは流石に嫌だった。
絶対に負ける訳にはいかなかった。
呪文を唱える。全然威力の無い呪文。だけれど何もしないよりはましな筈。そうしてナイフを握り締める。
日が暮れて町へと帰る。戦利品はいつもと同じ小銭程度の金。
別にいつもと何も変わりはしなかった。ただ、今日はもう終わりだ。帰ろう。
「あの。一人ですか? 良かったら一緒に狩りをしませんか?」
驚いて反射的に振り向くと一人の騎士が立っていた。誰かから話しかけられた事なんて今まで一度も無かったから心底驚いた。どう反応して良いか分からず一寸困った表情を浮かべてしてしまったかも知れない。もう終わろうと思っていたのだけれど正直とても嬉しかったし何だか断るのは悪いような気がして思わずOKしてしまった。
僕は女の格好をしている男なんだと改めて自分に言い聞かせる。絶対に男だと悟られてはいけない。ボロが出たら終わりだ。何もかも。
「それは何人目ですか?」
不思議な質問をされた。ここに来るのは始めてだと言うとこちらからは何も聞いてもいないのに色々と親切に教えてくれた。その人は僕の知らない事を本当に沢山知っていて、知らない事すら知らなかった事まで惜しげも無くそうしてとても分かりやすく教えてくれた。
「どうもありがとう」
笑顔で礼を言う。不自然じゃあ無いだろうか。緊張する。
誰かと一緒に狩りをするのは始めてだったけれどいつもと違って全然痛い思いをしなくて済んだ。化け物を全部騎士が引き受けてくれたから。僕は後ろで治癒の呪文を唱えているだけ。果たして僕は役に立っているのだろうか。いてもいなくても正直一緒な気がした。何だかかなり申し訳無い気持ちで一杯になった。だけれどとても楽しかった。本当にとても。一寸でも長く一緒に狩りをしていたかった。
その化け物は強かった。治癒の呪文を唱えようとしたけれど僕の心はもう限界だった。精神が統一出来ない。必死で呪文を唱えようとしたけれどどうしても無理だった。騎士は必死で僕を庇ってくれた。その度に肉の裂ける嫌な音がした。
「駄目だ。逃げろ」
僕はまだ全然大丈夫。逃げる訳にはいかない。そんな卑怯なまねは出来ない。だってその騎士はずっと僕を守ってくれている。騎士の横から必死で化け物に斬りかかる。化け物に腕を食いつかれる。勢い良く肉片と血が舞う。痛い。物凄く痛いけれど、でも、大丈夫。こんなのは慣れている。いつもの事だ。
「もう無理だッ。良いから逃げろッ」
肘でドンとはじかれた。剣士はもう身体中から血が滴り落ちていて裂けた肉が垂れ下がっていてその肉の隙間から白い骨が見えていて、でも目だけは爛々と光っていて全然大丈夫じゃあ無いのが分かった。立っていられるのが不思議な位だった。
その姿を見て反射的に逃げた。物凄い罪悪感。どうしよう。どうしよう。どうしよう。今更引き返せない。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
あの時OKって言わなければ良かった。言わなければ良かったよ。
町の中で立ち尽くす。雑踏の中一人呆然とする。
しばらくすると騎士がやって来た。
「大丈夫だった?」
僕なんかの心配なんてしなくて良いのに。だって僕は卑怯にも逃げた。ずっと守ってくれたあなたを見捨てて逃げたんだよ。
「うん」
「本当に、ごめんなさい」
色々本当に申し訳無くて泣くのを我慢するので必死だった。何故泣くんだ。男の癖になんで僕は。それが又情けなくて。ぐるぐる。
「いや、いいよ。大丈夫だったなら。本当に良かった」
そう言って笑った。
僕は罪悪感でどうしようも無くなった。
「今日は有難う。俺が誘ったせいで危険な目に合わせてごめん。とっても楽しかった。良かったら又一緒に狩りをしよう」
そう言って僕に向かって一本の杖を差し出した。
「これ、今日のお詫び。俺は使えないから。良かったら使ってくれよ。大した物じゃあ無いんだけれど」
今の僕には全く手の出ない物だった。欲しかった物の筈だったのに。欲しいとさえ思えない物だったのにそんな物を貰える訳が無い。
「本当にごめんなさい」
もう色々頭の中がぐちゃぐちゃでそれしか口に出来なかった。
もうしません。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
騎士は黙って僕の手を取って無理矢理杖を握らせた。
「遠慮しなくて良いから。使ってくれよ。それと君が着れる服もあまっていた筈だから。それも今度渡すから」
なんて言って返事を返せば良いのか全く分からない。お礼?お礼を言えば良いのか?
僕が欲しかったのは何。僕が望んでいたのは何。
僕が男の姿のまんまだったら、彼は絶対に声を掛けなかった筈。
僕が男の姿のまんまだったら、彼は痛い思いをしなくてすんだ筈。
僕が男の姿のまんまだったら、彼は色々優しくなんてしなかった筈。
僕はもうその場から消えてしまいたかった。
僕には色々無理だった。
本当の事を言えば楽になる。
でも、本当の事は言えなかった。全部無くなるのが怖かった。全部無くなるのは嫌だった。
僕は卑怯で汚い。
でも卑怯で汚い生き方を選んでしまった。
自分で。だったらどうしたら良い?
「有難う。大事に使わせてもらうね。服、楽しみだな」
「それと、これからもよろしくね」
とびきりの笑顔。きっと大嫌いなあの女よりもきっとずっと魅力的な笑顔。僕は心底最低だ。
これからどうしよう。考える。
全然考えがまとまらない。だから、又次に考えよう。それでも考えがまとまらなかったら又次考えよう。そうしてどうしても考えがまとまらなかったら?
考えるのをやめたらいい。
でも、まぁ、今日はもう終わろう。帰ろう。
さようなら。
暗転。
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