「では、どうしてそんなに危険な場所ならば男性を送りこまないのですか?」
皆が思っていたであろう事を美佐子が言った。
「勿論送りこんだよ。でも、誰も帰って来ないんだ」
美佐子は黙りこんでしまった。
所長室。狭くて空気の濁った小さな部屋。小さな換気扇の回転する音が鬱陶しい。
貧しくて治安のとても悪い国にその少女? がいるのだと噂されていた。
色々な国の色々なジャーナリスト達がその少女を取材しに行ったと噂されている。
そうして誰一人として帰っては来た者はいないと噂されている。
噂。噂。噂。
「もしもこの取材に成功したら昇進は必ず約束する。そうして昇給プラス報酬をうんとはずもう」
この不景気だ。この仕事を手に入れるのだって物凄く苦労した。全ては佳代の為。
佳代私の可愛い娘。やっと出来た私の娘。
佳代は畸形だった。佳代には産まれつき目が無い。手が無い。足が無い。産まれたばかりの佳代を見て愛する夫は、
「ああ、これは処分だな。なぁに、又次を作れば良いさ」
笑って言った。その夜愛する夫を始末して処分業者に電話を掛けた。どうしても許せなかったから。とっても愛していたけれど。処分業者は思っていたよりもお金を沢山くれた。生きたまんまの方がずっとお金になるのだけれど怒り狂っていた私にはそこまで考える余裕が無かった。
私の可愛い可愛い可愛い佳代。お金が無くなったら佳代は即処分されてしまう。
「それで、君達を集めた訳だ。女性ならば大丈夫だとの噂だ」
「でもそこからは誰も帰って来ていないと言う噂もありますよね?」
美佐子が言う。
「あくまでも噂だよ」
「さぁ、この中で三人。行ってくれる者はいないだろうか」
部屋中に集められた皆が沈黙する。
「……は……はい! わ……私……い……行きます!」
思いつめた表情で百合が言う。百合にはギャンブルで作った借金があるらしい。
「私、行くわ」
美佐子が冷静な表情で言う。出世欲が人一倍強い女だ。人を平気で落とし入れる嫌な奴。美佐子のせいで辞めてしまった人達は沢山いる。ここを辞めたら仕事なんてある訳無いのに。それでも辞めざるを得ない程の事を美佐子はやったと言う事だ。
「わ……」
清子が声をあげ掛けた。普段は物静かな清子。一瞬まさか清子がと皆驚いた表情をした。けれど……。
「私、行きます。行かせて下さい」
佳代。お母さんお金沢山稼ぐわね。あなたの為にうんと稼ぐわね。
佳代は専門の施設に預かって貰った。
「くれぐれもよろしくお願いします」
施設の所長に規定よりかなり多めにお金を渡した。
所長は笑顔で引き受けてくれた。
お金。お金。お金。お金。お金。
「無事帰って来る事が出来たら必ず追加料金を支払いますので」
深深と頭を下げる。
「ね……ね……ぇ…ま……ま。どこかへ……いく……のぉ?」
柔らかなベッドの上で沢山のチューブに繋がれた佳代。目のある位置には佳代の為に選びに選んだとっても可愛らしい布で作った私の手作りのアイマスク。
かすれた聞き取り辛い声で佳代が言う。とても可愛らしい声。まるで鈴の音のよう。
「ママねお仕事でね、遠い国へ行かなきゃならなくなったのよ」
「え……。かよ……ま……まがいな……と……さ……みし……」
「大丈夫よ。すぐ帰って来るから。良い子にしていてね。お仕事が終わって帰ってきたら佳代が欲しがっていたお人形さんを買ってあげる。美味しいケーキだって買ってあげる」
頭を撫でる。でこぼことした頭部。
「え……ぇ! ……ほ……ほ……ほん………とぅ? い…いの?」
「勿論、本当よ。ママが佳代に嘘を付いた事がある?」
「うう……ん。いっか……いも……ない」
佳代が顔を歪める。可愛いらしい天使の笑顔。
飛行機を何度も乗り継いで何時間も掛けてその国に到着した。
閑散とした飛行場。虚ろな目の職員達。
次に少女が現れるとの噂のある町までタクシーで向かう。錆びと泥で薄汚れたボロボロの車。
「へぇ……取材に、ね」
「何か少女について知っている事はありますか?」
美佐子が運転手に質問する。
百合はうつむいたまんま小さな声で何かブツブツとつぶやいている。ときおり一瞬笑顔を見せる。飛行機に乗る前から何だか様子がおかしかった。
「百合さん?」
流石に心配になって声を掛ける。
「あ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫なのよ。私は、大丈夫。大丈夫。大丈夫。なの」
「そ、そう。そうなの。それならば良いのだけれど……」
全然大丈夫じゃあ無さそうだったけれどそう答える事しか出来なかった。
「あの方はね。女神様なんだよ」
運転手が言う。
「女神?」
美佐子が聞き返す。
「そう。女神様」
突然運転手がそ「女神様」を称える歌を歌い始めた。
「女神とはどういう意味ですか?」
美佐子が聞く。
運転手の歌は止まらない。
百合は相変わらずうつむいたまんま小さな声で何かブツブツとつぶやいている。
「ああ。もう。何を聞いても駄目っぽいわね」
美佐子が私に言う。
「女神って何なの?」
「さぁ。宗教か、何かの教祖様なのかしらね……」
運転手の歌は止まらない。
目的地の町へと到着する。
崩れ掛けた泥で作られた小さな家々。細い道の端には死んでいるのか生きているのかわからない寝そべっている人々。ボロをまとってのろのろと細い路地を歩いている虚ろな表情の痩せ細った人々。その中に一軒だけ違和感のある建物。外国人向けのホテル。誰かこんな所に来たがる人がいるのだろうか?チェックインを済ませる。期限は十日間。ホテルの部屋は想像していたよりも全然マシだった。
「何よこのオンボロ部屋! 冗談じゃあ無いわよ」
美佐子は荷物を乱暴に床に叩きつけて悪態をつく。
百合は相変わらずうつむいたまんま小さな声で何かブツブツとつぶやいている。
「ねぇ、美佐子さん。百合さんの様子が飛行機に乗る前からずっと変なんだけれど……」
「知らないわよ! それは私には関係の無い事でしょう?」
百合をベッドに座らせる。ふぅ。と溜息をつく。
「百合さん? どう? 取材、行けそう?」
百合が勢い良く立ち上がる。思わず驚く。
「勿論よ。勿論。行く。取材へ行くの。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫なのよ。私は、大丈夫。大丈夫。大丈夫。なの」
「それじゃあ美佐子さん。そろそろ取材に行きましょうか」
「まさか三人一緒行動するって言うんじゃあ無いでしょうね?」
「え?」
「私は一人で行くわよ」
「でも女性一人じゃあ危険だと……」
「うるさいわね! 私は一人で行くの!」
さっさと準備をして美佐子は部屋から出て行ってしまった。治安がとても悪そうなのだけれど女性一人で大丈夫なのだろうか。
「わ……私も一人で行くの」
「え。無理よ百合さん。無理しないで」
「一人で行くのッ! お金がいるのッ! 私一人のお金なのッ!」
百合が突然金切り声をあげる。
「わ……わかったわ。ごめんなさいね」
「わ……私の私の私のお金なの。お金なの。そう。お金がいるの。沢山いるの。沢山。沢山。沢山。沢山いるのよ。うふふ。全部私のお金なの。うふふ」
結局最後に部屋を出たのは私だった。
さて、どうしよう。取り合えず町の人達に少女の事を聞いてみる事にした。
「あぁ。女神様の事ね。あの方のお陰で我々は飢えずにすんでいるのさ」
「飢えに苦しんでいる場所へ現れる女神様だ。特にこの辺りはな戦争で畑やなんか全部やられちまっただろ。食べる物なんてないんだな。本当に有り難いよ。俺の所はもう女房も子供も死んじまったけどなぁ。もうじきここに現れるらしいねぇ」
「もうすぐね、来るんだって女神様。そうしたらお腹一杯食べられるんだって。皆お腹一杯食べられるんだって。楽しみだなぁ」
「以前私のように女神様について調べに来た人達がいませんでしたか?」
「あぁ。いたね」
「誰一人として帰って来ていないと噂されているのですが……。彼らがどこへ行ったか知りませんか?」
「それは分らないね」
毎日のように取材して回った。部屋に帰ると歩きつかれてくたくたになった。
美佐子と百合の取材進行状態はどうなんだろう。
「場所は昔の教会跡らしいねぇ」
「ああ。教会跡って聞いたけどなぁ」
「あそこのね、壊れた教会のね。所に来るんだって。あそこね、バクダンでドカーンってやられたんだよ。あたし見たもん。その時にねあたしの一番の仲良しのね友達がね教会でお祈りをしててね。死んじゃったんだぁ。戦争が早く終わりますようにってお祈りしててね。友達ねバラバラにねなっちゃったんだぁ。ちっちゃいね肉のね塊がね回り一杯にね。回りは真っ赤でね。昔秋になったら咲くね赤い花があるんだよ。綺麗なの。その花よりもね真っ赤。真っ赤。真っ赤でね。キャハハハハハ。真っ赤。真っ赤。真っ赤。凄く赤かったの。あそこのね、壊れた教会のね。所に来るんだって。あそこね。キャハハハハハ」
七日目の朝だった。
「女神様だ!女神様が現れたぞ!」
外で男の叫び声が聞こえる。
三人共飛び起きる。急いで準備をして外へ飛び出す。教会跡へ走る。町中の人達が教会跡へ走る。奇妙だな。と思ったのは人々が手に手に食器を持っている事だった。私達は町の人達よりも体力があったから大勢の人々を追い越してドンドン走る。到着するとすでに教会跡は人で溢れかえっていた。ほんのちらりとだけれど女神様の姿が見える。
「見た?」
美佐子が言う。
「ええ」
百合が言う。
「ええ。」
私が言う。
肉の塊。そう表現する事しか出来無かった。あれが女神様? 赤みを帯びた肉の塊。かろうじて人の形はしていたけれど。
人々は女神様へと群がる。
「女神様! 女神様!」
誰かが女神様を称える歌を歌い始めた。この町へ来る途中タクシーの運転手が歌っていた歌と似ているけれど少し違う。大合唱が始まる。
一体町の中のどこにこれだけの人達がいたのだろう。
「あぁ、もう、うるさい!」
美佐子がイライラしている。
私達は教会の外で人々がいなくなるまで待つ事にした。
三人共一言も何も言わない。
皆粗末な食器を有難そうに抱えて教会を立ち去って行く。
日没。空はどんよりと曇っている。雲が夕焼けで赤く染まっている。
「良いわよ。終わったわ」
中から声が聞こえる。とても幼い声がする。
「お待たせしてごめんなさい。入って来て良いわよ」
美佐子が二人を押しのけて教会の中へ入る。次に百合。最後に私。
教会の壊れていた(さっきまで無かった筈なのに)筈の扉がギギギと閉まる。
血でどす黒く染まった生臭い部屋。
そこにはほっそりとした少女がいた。赤みを帯びた綺麗な肌をしたほっそりとした小柄な少女。赤みを帯びた髪の毛には赤い細い可愛らしいリボン。
「いらっしゃい。女の人なのね。珍しいお客様」
少女はにっこりと微笑む。
美佐子と百合が少女の写真を撮る。私も慌ててシャッターを切る。
「あなたについて聞きたいの。あなたは一体何?」
美佐子が質問する。
「私?」
少女はにっこりと微笑む。
「あなた達は何の為にここへ来たの?」
「あなたの事を調べに来たのよ」
「私を調べるとどうなるの?」
「出世。するの。私は偉くなるのよ。うんとね」
「そう」
少女はにっこりと微笑む。
「じゃあ、あなたは?」
百合の方をむいて少女が質問をする。百合は一瞬ビクっとする。
「お金がいるの」
「何故?」
「ギャンブルで借金があるの。止めようと思ってもどうしても止められなくて。会社のお金も使ってしまったの。だからあなたを調べる必要があるの。お金がいるの」
「そう」
少女はにっこりと微笑む。
そうして私の方を向く。まだ十代前半のように見えるけれど艶かしい瞳をしている。顔の作りは決して美しいとは言えない筈なのに物凄く魅力的で……。
「私には娘がいるの。娘の名前は佳代って言うの。とても可愛いの。佳代には産まれつき目が無くて。手が無くて。足が無くて。内臓も全然足りないの。………私が稼がないと処分されてしまう」
「そう」
少女はにっこりと微笑む。
そうして美佐子の方に歩み寄った。少女の手が美佐子に触れる。その手が美佐子の中にずぶりとめり込む。同化する。
「!」
「何をするの!」
美佐子が悲鳴をあげる。
「あなたを使ってあげる。皆の役に立てるのよ」
少女はにっこりと微笑む。
「や……やめてッ! 何をするの畜生ッ!」
美佐子がずぶずぶと少女の中へと取りこまれてゆく。
「偉くなるよりもずっとずっとずっと意味があってずっとずっと良い事よ」
私は恐怖で動けない。どういう事なんだろう。どういう事なんだろう。どういう事なんだろう。
「やめてェェェェェーーーー!」
美佐子をすっかり取り込んだ少女の体には美佐子の体の分だけ肉がついた。
「次はあなたよね?」
百合に向かって歩み寄った。
「え」
「あなたには無理よ。全然。ね。私と一緒になりましょうよ」
「嫌ッ! 私は帰るの! おッお金がいるの!」
扉の方へ走って逃げる。少女はゆっくりと百合へと近付いて行く。
「ね。もうやめましょう? 私と一緒になりましょうよ。」
少女の手が百合に触れる。
「ギャアーーーーッッッッッ!」
「イヤ! イヤ! イヤ! イヤーーーー!」
百合は物悲鳴をあげながらゆっくりと少女の中へと取り込まれてゆく。
「駄目よ。もっと明るい表情をしてくれなきゃ。お肉、不味くなるじゃない? それにとっても痛いでしょ?」
「イヤ! 痛いッ。痛いッ。痛いッ。助けて助けて助けて!」
私の方へ必死で手を伸ばす。私は恐怖で動けない。
ずぶずぶと同化する。少女の体には百合の分だけ肉がついた。
ああ。皆少女の肉を貰いに来ていたんだな。肉を皆に分け与えたから痩せたんだな。そうか。
「最後はあなたね?」
「ええ。そうね」
「娘さんはね。そうね。残念だけど……もう処分されてしまっているわ。」
「あなたがこの国へ来てすぐにね、ショチョウって人がショブンギョウシャって所にデンワをしたのね」
「ええ。そうね」
「あの所長に何か出来る事は無いのかしら?」
「あなた本気で娘さんの事を可愛いと思っていた?」
「……。いいえ」
「じゃあ別に良いんじゃないのかな?」
「そうね」
彼女がそっと私の手に触れる。
「大丈夫よ。別に痛く無いから」
「ね、最後にお願いがあるの」
「?」
「あなたの肉を食べさせて。どんな味かとっても興味があるの」
少女はにっこりと微笑む。
そうして鋭利なナイフをどこからか取り出すと胸の肉を削ぎ取った。
傷口からどくどくと血があふれ出る。
「どうぞ」
血まみれの肉を差し出す。
「有難う」
少女の肉を口に含む。くちゃくちゃと咀嚼する。
「まぁ。美味しい。私の家ねとても貧しかったから肉なんて食べた事無かったのよね。どうも有難う」
少女はにっこりと微笑む。
つられて私もにっこりと微笑む。
「あなたもその美味しい肉になれるのよ?」
ああそうか。少女が私に触れる。ずぶずぶと少女の中へと取り込まれてゆく。
「ねぇ。名前を教えて。皆はあなたの事を女神様って呼んでいたけれど。本当の名前は何て言うの?」
「ああ。女神様って呼ばれ方、何だか大袈裟過ぎて私好きじゃあ無いのよね」
ゆっくりと取り込まれてゆく。
「そうなの?」
「ええ。それにあの歌も嫌。でも何だか嫌って言えないのよねぇ」
少女が困ったように微笑む。
ゆっくりと取り込まれてゆく。
「本当はね、肉姫って呼んで欲しいんだけどな」
意識が薄れてゆく。
「ね、その方が格好良いと思わない?」
そうね。と答えたかったのだけれど。もう意識がはっきりしなくて。全然はっきりしなくて。
「駄目かなぁ」
少しすねたような少女の声。その名前の方が私も好きよ。そう伝えたかったのだけれどその言葉が聞こえたのと同時に私は私で無くなった。
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