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緑色の恋人
 小さな頃から何をやっても上手くいかなくて。
 失敗ばかりしていたからアルバイトをクビになってしまった。これで何度目だろう。
「アルバイトでクビぃ?そんなのありえないだろ」
 弟に言われた。弟は完全に俺の事を見下している。兄は俺をいないものとみなしている。そうして両親共俺の事は完全に諦めてしまっている。俺の居場所はここには無い。辛くて辛くて本当に辛くて。そうして申し訳無くて。家を出た。
 友達の家を転々としていた時ナンパで引っ掛けた君子のアパートに転がり込んで完全開き直りのヒモ生活。
 駄目だなぁ。
「それじゃあ行ってくるね。仕事、のんびり探したら良いよ。ご飯、テーブルの上に置いてあるからレンジで温めて食べてね」
「行ってらっしゃい」
 先週君子が仕事帰りに買って来てくれたアルバイト情報誌を手に取りながら適当に返事をする。
 君子。優しい女だ。でもはっきり言って全然好みのタイプなんかじゃあ無くて。そうして愛情なんて全く無くて。 只、行く所が無かったから。自分でも酷い事をしているな。と少しだけキリキリと胸が痛む。
 あぁ。良い歳をして俺は一体何をやっているんだろうな。
 町や店で偶然同級生を見掛けると物陰に隠れる癖が付いてしまった。惨めだ。
 
 ある日、アルバイトの面接を受けに行く為に電車に乗った。少しばかり遠い場所だった。ガタンゴトンと規則的に揺れる電車。それがとても心地良くて。
 途中で眠ってしまっていた。目を覚ますとそこは全く知らない場所。
 何をやっているんだろう俺は。ただただ情けない。ただただ自分が腹立たしい。俺の頭はどうにかしているんだろうか。一度ちゃんとした検査を受けた方が良いんだろうか。
 次の駅で取り合えず電車を下りる。

 全く知らない場所。時計を見るとアルバイトの面接時間はとうの昔に過ぎている。電話して面接先に詫びる気力も無くて。
 駄目だなぁ。
 日はまだまだ高い。君子のアパートに帰っても仕方が無い。しばらくここでぶらぶらしてみようと考える。今日は家に帰ると君子がいる。このまんまアパートに帰っても君子は決して俺を攻めたりはしないだろう。多分、(確実に。)
「良くある事よ。又次を探せば良いじゃあ無い」
 と、優しく言ってくれるだろう。でもアパートへ帰って君子の相手をするのは面倒臭い。君子は優しい。俺には勿体無い位性格の良い女だ。でも俺は君子に全く興味が無い。
 駄目だなぁ。

 駅を出る。古びた木造建築の無人駅。一体ここはどこだろう。駅の名前を見てもどこだかさっぱり分からない。空はどんよりと曇っている。蒸し暑い。湿っぽい空気が身体にねっとりと絡みついて来る。全く舗装されていない剥き出しの土の道。伸びっぱなしの草。視点を変えると青々とした木々が生い茂る山々。しばらく歩くと小さな売店があった。そういえば何だか喉が乾いた。古びて色あせた店舗。一歩中に入る。薄暗く狭い店内。何だか埃っぽい。誰もいない。
「すみません」
 店の奥に向かって声を掛ける。人の気配がする。しばらく待っていると腰の曲がった老人がガタガタと立て付けの悪い戸を開けて出て来る。
「いらっしゃい」 
 やる気の無い小さな声。飲み物が入っている埃っぽいケースから見た事の無い果物の絵が描かれた缶ジュースを一本取り出す。しまった。と思う。全然冷えていない。
「これを下さい。」
 代金を払う。
「……アンタ、こんな所に一体何をしに来たのかね?」
 老人が鋭い目で俺を見る。
「え」
 突然の質問に驚く。
「ここへ来るのには何か理由がいるのですか?」
 何て答えて良いか分からず質問に質問で返してしまう。
「……あぁ。あぁ。あぁ。それもそうだな。あぁ。あぁ。あぁ。そうだな。あぁ。あぁ。あぁ。あぁ。そうだな。あぁ。あぁ。あぁ。」
 老人はブツブツと呟いている。何なんだろう。
 店の外へ出る。
 缶を開けて温いジュースを飲む。………。何だこれ。青臭い嫌な味が口一杯に広がる。缶を見る。聞いた事の無い会社製の聞いた事の無い果物の名前。何だか気味が悪くなって缶を草むらに投げ捨てる。
 
 舗装されていない道を適当に歩く。どの家も人の住んでいる気配が全く無い。夜になるとさぞ無気味なんだろうな。何となく山の方を見る。
 大きな洋風の屋敷が建っている。何だかこの場所にはとても不釣合いで何だかとても興味を引かれた。
 どこをどう歩いたのかとにかく屋敷を目指して歩いた。かなり距離があって屋敷に到着した時にはへとへとになってしまった。肩で息をする。
 駄目だなぁ。
 かなり大きな作りの洋風の屋敷。窓ガラスが所々割れている。手入れのされていない庭は木や草が生い茂っている。人は住んでいないようだ。危険!立ち入り禁止と下手糞な字で書かれた色あせた大きな木の看板。中に入ってみようと思ったけれど門扉が固く閉ざされている。ご丁寧に針金まで巻いてある。塀の上には鉄条網。
 何だろう。
 何だか不自然さを感じる。中に何かあるのかな?興味を引かれる。何か危険な物があるのかな?
 …………。しばらく考える。
 入ってみよう。
 門をよじ登る。門の上には先の尖った装飾が施されてあって危うく足に突き刺さりそうになったけれど何とか無理矢理飛び降りた。結構な高さがあったから地面に着地した後足がビリビリ痛くてしばらく動けなかった。まっすぐ屋敷の入り口へと向かう。昔は立派だったんだろう薄汚れて傷だらけの扉に手を掛ける。思った通り開かない。裏口か何かあるかもしれない。屋敷の回りを歩いてみる事にした。外から見るよりもかなり奥行きがあってとても大きな建物だ。一階の全部の窓に格子がはめてある。窓から入る事はどう考えても無理なようだ。草むらを掻き分けて屋敷の裏へと向かう。裏口を見つけたけれど矢張り開かない。何となくガッカリして引き返そうとした時、広い裏庭の隅にある物凄く大きな温室が目に付いた。もしかしたら。近付いて戸に手を掛ける。簡単に開いた。ギギギと戸の開く音。

「誰か来た?」
 耳に心地良い透明な声。
「え」
 誰もいないと思い込んでいたから物凄く驚いた。
 人が住んでいたんだ。まずい。
「あ。勝手に入ってすみませんでした」
 急いで立ち去ろうとした。
「こっちへ来て」
「え」
「奥だよ。こっちへ来て」
「良いんですか?」
「良いよ。良いから早くこっちへ来て」
 声のする方へと向かう。全く手入れをされていない植物達。何だか分からない熱帯(多分。)植物が生い茂っている。天井を見上げると土埃で汚れて曇ったガラスの所々に穴が開いている。通路は緑の大洪水。得体の知れない植物の葉を踏みしめながら植物の葉を掻き分けながら声のする方へと向かう。そこへ行けば人がいる筈だから。
「どこ?」
「もっともっと奥だよ」
 とにかく言葉のする方へ。奥へ奥へ。
 植物の壁に突き当たる。毒々しい実を付けた熱帯(多分)の植物。
「こっち」
 横の方から声が聞こえる。物凄く良い香りがする。
 角を曲がる。

「うわぁ!!!!!!」
 思わず悲鳴をあげてしまった。
「……何だよ。失礼だなぁ」
 裸の少年。薄い緑色の肌。深い緑色の髪。角度によってキラキラと色の変わる緑色の瞳。ただ、腰から下は植物の根のように複雑な形をしている。腰から上は完全な人の形。体の所々から細い蔓が伸びていて綺麗な形の葉を付けている。
 一体何なんだこれは。怖くて動けない。
「初めまして。久し振りの人だなぁ。名前、何て言うんだ?」
 一体何なんだこれは。
 一体何なんだこれは。
 一体何なんだこれは。
 恐怖で声が出ない。足がすくんで動けない。
「…………。答えろよ。何で黙っているんだよ」
 怖い。
「名前、教えろよ」
 怖い。
「も……森正友だよ」
 思わずフルネームで答える。
「へぇ!森だって。とっても良い名前だなぁ」
 少年の顔が笑顔になる。
「ずーーー−ーーっと一人で退屈していたんだよ。来てくれてとっても嬉しいな」
「お……お前はい……い……一体何なんだ?」
 一歩後へ下がる。そうして何とか言葉を搾り出す。
「えーと。…………見ての通りだよ?」
「見ての通りとは?」
 又一歩後ろへ下がる。
「そのまんまだよ」
 ……何て言って良いか全然分からない。
「ひ……人?植物?」
「んー。どうなんだろうな。父さんに聞けば分かるかも」
「その父さんって人は?」
「さー。もうずー−ーーーーっと来ないからなぁ」
 いつの間にか少しだけ恐怖心が消えている事に気付く。
「ずーっとってどの位?」
「だからずーーーーー−っとだよ」
「そ……そうだ。俺は名前を教えたぞ。お……お前の名前は? 名前位あるんだろ?」
「んー。何か変な感じの奴だったけど……。難しくて全然覚えていないんだよなぁ」
 少年はしばらく考えこんだ後、
「あ、そうだ。森、俺に名前つけてくれよ。難しいのじゃあ無くて簡単な奴」
「え」
「森みたいなカッコイイ奴がいいなぁ」
「え」
 少年が表情を変える度に目に光が反射してキラキラと色が変わる。落ち付いて良く見ると、とても繊細で綺麗な顔立ちをしている事に気付く。一体この少年? は何なんだろう。お化け? 植物のお化けかな?
「一寸時間をくれよ。急には思い付かないよ」
「良いよ」
 やっぱり正直怖い。
「あ、俺そろそろ帰らないと……」
「帰るって? どこへ?」
「俺の家へ」
「どこそれ?」
「言っても多分分からないよ。」
「ずっとここにいるのは駄目か?」
「む……ッ無理だよ。」
「どうして?」
「俺の事を……ま……待ってる人がいるんだよ」
 こんな時だけ君子を利用する自分にほんの少し自己嫌悪する。
 駄目だなぁ。
「オクサンとかコドモとかそういうの?」
「違うけど……」
「父さんにはオクサンとコドモがいたよ」
「そ……そうなのか。」
「ね、又ここ来るだろ?」
「え」
「来るよな?」
「あ。うん」
 適当に返事をする。
「その時、赤い水を持って来てくれないかなぁ。真っ赤じゃなくて一寸黒いんだけど。」
 ……何だろうそれは。
「分かったよ。」
 適当に答える。二度とここへ来る事は無いだろうから。
「これ、あげるよ」
 そう言うと少年は身体に生えている蔓から葉を一枚引き抜いた。
「痛ッ」
 引きぬいた場所から透き通った綺麗な緑色の液体が滴り落ちる。フワっと良い香りが広がる。
「はい、どうぞ」
 近寄るのが怖い。
「?」
「いらない?」
 少年が悲しそうな顔をする。
 葉を受け取る為に恐る恐る少年に近付いた。
 少年の手に触れる。冷たくて少し固い手。
「大丈夫か?」
「何が?」
「痛いんだろう?」
「大丈夫」
「それ、口に入れてみて。美味しいよ。来てくれたお礼だよ」
「あ、有難う。い……家に帰ってから口に入れてみるよ」
「何で? 今入れるんじゃ駄目なのか?」
 葉をまじまじと見つめる。綺麗な曲線を描いた形。
 少年がじっと見つめている。仕方無くそっと葉の先を口に入れる。甘酸っぱい味が口一杯に広がる。毒じゃ無い。大丈夫みたいだ。全部口に入れる。
「…………。美味しい」
 思わず言葉が口から出る。
 少年が微笑む。
「だろ?」
 少年の前から立ち去ろうとする。
「ね、次はいつ来るんだ?」
 背中から言葉が追いかけて来る。
「一寸今家の方が色々忙しいから暇になったら又来るよ」
 良い訳は得意だ。
「そっかぁ。じゃあ、ずっと待ってるね」
 ……。
 ……。口の中の葉が甘酸っぱい。
 …………。

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