「だって、範子の彼氏はこんなのよりももっと高いバッグを買ってくれるって言ってたよ?」
そんなに泣きながら言う程の事なのだろうか。
そんな美雪を見ているとなんだか色々馬鹿らしくなって来た。
「そっか……」
「うん。だからね。あそこのデパートだと他より少し安いの」
何を勘違いしたのか途端に笑顔になる。
「じゃあ、別れようか」
告白したのも俺からだったな。
駅からの帰り道。寒空の下ふと思い出す。
あれから何度も電話が掛かって来たけれど出ない。メールも何度も来ているようだけれど読まない。
ふと時計腕時計を見る。もうこんな時間だ。早く帰って寝ないと明日に差し障る。早足で歩く。
結局クリスマスイブもクリスマスも休日出勤。納期が近いと大変だ。勿論クリスマスに休暇を取った社員達は沢山いる。……まぁ、俺は俺、他人は他人だ。昨日までの町の浮かれ具合が嘘だったかのような平凡な日常。
そう言えば冷蔵庫の中に食べる物が全然無いな。
遅くまでやっている駅近くのスーパーマーケットに寄る。売り場の隅っこの方で申し訳無さそうにクリスマスケーキが味気の無い半額のシールを貼られた上山済みにされて売られている。半額のシールの下から3割引のシールが透けて見える。何だか物悲しくなって別に食べたくも無いのに思わず買ってしまう。
暗闇の中一人歩く。切れ掛けた街頭がチカチカ点滅して鬱陶しい。一体いつ直すんだろうな。毎日通る度に思う。
寂れた小さな児童公園の前を通る。この前が俺の住むアパートだ。駅からは少し遠いけれど家賃がそこそこ安い上比較的広いので気に入っている。
二階に俺の部屋がある。
鍵を開けて部屋に入る。荷物を下ろしてコートを脱ぎ捨てて暖房のスイッチを入れて部屋着に着替える。やっと落ち付く。
テレビを付ける。どうでも良い番組をやっている。時計を見るともう午前一時になろうとしている。早く風呂を沸かさないと。
ふと窓の外を覗く。
公園の隅に子供がいる。こんな時間までいるのか。早朝ゴミ出しに行った時偶然聞いたんだけれどどうやらいつもいるらしい。最初見た時は正直幽霊だと思った。美雪が家に来た時窓から子供を見て、
「可哀想……。虐待されているのかな? こんなに寒いのに。親は何をしているんだろうね」
そう言っていた。俺はその時何て答えたんだっけ。
彼女が来た時多分いつもいた筈。……なんだけれどそれきりその子供が話題に上る事は無かった。まぁ面倒に関わるのは誰でも御免だ。
このご時世だ。親切で声を掛けた所で変に誤解されないとも限らない。
「な。良かったら部屋来るか? 寒いだろ?」
物凄く怪しいな。自分でも思う。
子供は弱弱しくコクンと頷いて立ち上がった。
部屋に上がるように促す。一寸困った風だったけれどゆっくりとした動作で付いてきた。部屋に入るよう促す。
「……変な事……しない?」
小さな声で言う。
は?何だそれ?
近くで子供を見るのは始めてだったけれど物凄く薄っぺらく汚れ切った服と体をしている。正直異臭もする。アホか。何を言っているんだこのガキは。
「……された事あんのか?」
子供は下を向いて答えない。
「…………」
変な沈黙が続く。
「まぁ、良いや。風呂に入れ」
子供の肩に手を掛ける。震えている。思わず下を見下ろすとぱたりぱたりと小さな水滴が落ちている。……子供は声を殺して泣いていた。
何とも言えない気持ちになる。
「何もする訳無いだろう。取り合えず、寒いだろう。風呂に入ろう」
「うん」
泣くのを必死で堪えた震える声で言う。
本当に汚い。髪の毛も油でべたべたしている。そうして体中痣と傷で一杯だ。煙草を押し付けたような小さな丸い火傷の跡が背中中のあちこちに斑点のようについている。多分、前にもあるのだろう。裸になるまでどちらかわからなかったけれど男の子だった。
骨と皮だけの体。
何とも言えない気持ちになる。
俺は服を着たまんま風呂へ入った。一人で風呂に入れれば良かったのだけれどあまりにも汚いのでどうしても自分で洗ってやりたい気持ちになった。そうして後悔した。見なくても良い物を見てしまった。ブラウン管を隔てた向こうにあった世界が目の前にある。
「痛かったら言えよ」
「ウン。大丈夫」
服はそのまんま洗濯機へと放り込んだ。時間が遅いので回すのは明日の朝一番で良いだろう。俺の下着とセーターを渡す。
ドライヤーで髪の毛を乾かす。旅行先のホテルの備品の歯磨きセットを渡す。一生懸命歯を磨いている。
「サッパリしたか?」
一寸だけはにかんでコクリと頷く。
コタツの台にレンジで暖めたスーパーで買って来た弁当を二つとお茶の入った湯呑を二つ割り箸を二膳置く。
「さ、食っていいぞ」
「ウン」
テレビでは相変わらずどうでも良い番組をやっている。子供はじっとして動かない。
「? 遠慮しないで食って良いんだぞ?」
「ウン」
念を押すとようやくもそもそと食べ始めた。
こういう時は一体どうしたら良いんだろう。市役所?警察?児童相談所?学校?近所の主婦の方が詳しそうだから聞いてみようか。いや、変な噂を立てられて終わりだろうか?色々なテレビで観た事件を思い出す。善意の通報が仇になる事もあるんだったか。
「……ごめんなさい」
え?
又子供が泣いている。
「怒らせて、ごめんなさい。」
小さな声で言う。え? 俺、怒って無いぞ?
「何で?」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。だから痛い事をしないで下さい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
は?
訳がわからない。本当にわからない。
「……その。まぁ良いから、食べろ」
そうとしか、言えなかった。
二人共残さず綺麗にに食べた。コーヒーを入れる。
「砂糖とミルク、両方入れるのか?」
一応聞いてみる。
「……? え?」
「コーヒーだよ」
「何……それ?」
……。何となくだけれどカフェオレっぽくしてみた。
「甘くて、美味しい」
笑顔で答える。
「そうか」
甘いで思い出す。
「良い物があるぞ」
コタツの台の上にケーキを置く。
「……わぁ!」
子供の顔が輝く。
「凄いねぇ。綺麗だねぇ」
包丁で四つに切り分ける。
フォークを手渡す。
「食えるだけ、食って良いぞ」
「え」
「俺は甘い物はあんまり得意じゃないから一切れ食えるかどうかも怪しい」
子供は困った顔をする。又泣き出しそうになる。
「あ……。まぁ良いから食おう食おう!」
「ウン。」
一番大きな部分を子供に勧める。本当に美味しそうに食べる。
「甘くて、凄く美味しいね」
本当に甘いものは苦手なんだけれど、何故か物凄く美味しく感じられた。
「そうだな。凄く美味しいな」
思わず笑顔になる。
「そう言えばお前名前、何て言うんだ?」
「おじさんは?」
……おじさんか。一寸ショックを受ける。まだそんな歳じゃあ無いんだけれどな。
「おじさんの名前はヒトシだよ。」
「僕の名前はね、セイイチ。」
「そっか。あ、食いながらでいいぞ」
「ウン」
笑顔で答える。可愛いな。と思う。この子が辛いのは嫌だな。と思う。
俺は面倒な事が大嫌いだ。
今日から今まで経験した事が無い位、色々面倒な事になりそうだけれどまぁそれも良いかな。と感じ始める。
取り合えず今日は会社を休む事にした。
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