ある朝目覚めて薄汚れたカーテンを開けたら埃でくすんだガラス窓の向こうに細く高く繊細で複雑な形をしたアンテナ。
目を閉じると聞こえる耳障りな声。
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送一回目です。一回目です。一回目です。もうすぐ世界が終わります。終わります。終わります。終わります。決まりました。決まりました。決まりました。我々が決めました。決めました。決めました。決めたので終ります。色んな所でお知らせするのでででででで……確認をして下さささささささ……」
大変な事だよ。これは。世界が終わるって。
「……何を言っているんだ?」
兄さんが困った顔をしている。父さんと母さんは何も言わない。
「アンテナから聞こえなかった?世界が終わるんだって。色んな所でお知らせするって」
兄さんが困った顔をしている。父さんと母さんは何も言わない。
「……何を言っているんだ?」
お知らせは本当に来た。それは偶然目に留まった新聞の折り込み広告。いつも新聞の広告なんて気にした事が無かったから危ない所だった。
「ほら、見ろよ。書いてある。世界が終わるよ?」
兄さんが困った顔をしている。父さんと母さんは何も言わない。
「ね、これはお母さんが、預かっておくから、部屋に戻ってなさい?ね?」
母さんが困った顔をしている。
「書いてある事を良く読んでおいてね?」
「分かったから、部屋に戻れ!」
兄さんが大きな声で言う。
「……強く言っちゃ駄目!」
母さんが小さな声で言う。
父さんは黙ったまんまだ。
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送二回目です。世界の終わりの日を決めています。決めています。決めています。終わりの準備をして下さい。して下さい。して下さい。色んな所でお知らせするのでででででで……確認をして下さささささささ……」」
「父さんと母さんを困らせるような事はするな」
「父さんは今会社が大変なんだし、母さんも仕事で疲れている」
「只でさえお前は成績が悪くて二人を心配させているんだ。分かるか? 言っているだろう?」
「世界の終わりの話はもうするな」
準備をしないと。早く準備をしないと。早く早く早く準備をしないと。
「学校に行っていないんですってね……今日先生から電話があったわ……どうして?」
母さんが泣いている。
兄さんに殴られた。
「止めなさい!」
父さんが兄さんを押さえつける。
「この馬鹿野郎が!!!」
兄さんがわめいている。
準備をしないと。早く準備をしないと。早く早く早く準備をしないと。
悲鳴が上がる。父さんと母さんと兄さんの動きが止まる。
テレビで聞き慣れた乾いた音。何度も何度も聞こえる。
絶叫と悲鳴。
「近いわ!」
「いッ今の音は?」
家の外が騒がしくなる。
絶叫と悲鳴。
「何の音?」
「黙れ! 外に出るな! けッ……警察に電話だ!」
「まさか……お隣で殺人事件が起こるだなんて……」
「全く……何て事だ」
準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。準備。
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送二十回目です。準備をしてくれて有難う。感謝します。終わり方を決めています色んな所でお知らせするのでででででで……確認をして下さささささささ……」
いよいよだ。
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送二十一回目です。終わり方が決まりそうです。色んな所でお知らせするのでででででで……確認をして下さささささささ……」
終わり方が分かった。何て事だろう。対象は生き物全部。生きながら身体をゆっくり溶かされる。それはとても痛くて苦しい。そう書いてある。大変な事だよ。これは。
「電話帳なんて読んで楽しいか?」
兄さんが笑う。
「勉強で分からない所があるなら兄さんが見てやるからいつでも言えよ」
兄さんが笑う。
兄さんの彼女が死んだ。
「電話帳か。そういえばじっくり読んだ事なんて無かったな」
「地図帳も。そういえばじっくり読んだ事なんて無かったな」
兄さんが笑う。
「勉強で分からない所があるなら兄さんが見てやるからいつでも言えよ」
父さんが帰ってこない。
母さんが帰ってこない。
テレビをつける。駅で銃の乱射事件があったらしい。
「又か。何だか日本じゃないみたいだな」
兄さんが笑う。
兄さんが笑う。
兄さんが笑う。
兄さんの笑顔は大好きだ。だから嬉しい。
「そうだね。映画みたいだね」
そうだな。と言って兄さんが笑う。
埃でくすんだガラス窓の向こうに細く高く繊細で複雑な形をしたアンテナ。又形が変わっている。最初から複雑な形をしていたのに毎日複雑さが増している。毎日毎日一体誰が工事をしているんだろう?
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送四十七回目です。最初に決めたゆっくりよりもゆっくり終わる事になりました。ゆっくり溶けます。溶けます。溶けます。実験しました。とても痛いです。痛いです。痛いです。痛いです。痛いです。痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……」
「世界が終わるんだってよーー?」
「もーーこんな世界終わっちゃって良いって何か腐ってるし」
「あーーもーー本当殺人とか多過ぎ! 美香はおかしくなっちゃうしさ!」
「ドーーンって一瞬で全部無くなればいいのにね。ドーーンってさ」
「確かにねーー。うわ。マジ。この花束スゲーー高いんだけど」
「こっちの花でいいんじゃない?」
「まぁね。どうせ美香の奴頭ヘンになってて分かんないだろうしさ」
「キャハハハハハハ !言い過ぎだってーー」
「世界の終わりのアンテナ放送です。放送六十二回目です。後一時間後に世界の終わりが始まります。後1時間後に世界の終わりが始まります。後1時間後に世界の終わりが始まります。放送を聴いてくれて有難う。放送を聴いてくれて有難う。放送を聴いてくれて有難う。世界より先に私達は終わります。世界より先に私達は終わります。世界より先に私達は終わります。世界の終わりが見たかったです。見たかったです。見たかった……た……」
「あ。セカイが終わるんだって」
「本当に?」
「うん。後イチジカンしたら終わるんだって」
「それって何?」
「ウーン?」
「こわいの?」
「痛いんだって」
「こわいね」
「あ、空見てて」
「あ、光った。あれって何色?」
「わかんない」
「あ、又光った。何色かなぁ」
「すごいね」
「うん」
「世界の終わりをお前と過ごすなんてなぁ……」
「まーー、そんなもんだって」
「彼女とか、欲しかったなーー」
「贅沢言うなよーー」
「な!このTシャツどう?」
「えーー? 趣味悪ィ」
「何だそれ。折角キメて来たのによ……」
「オイオイ……俺と会うのにキメて来てどうするんだよ」
「だってよーーもう着る機会無いだろうからよーー」
「あーー。もう辛気臭い事言うなよな」
「ぶっちゃけるけどお前のファッションセンスは一寸壊滅的だよ?」
「え?」
「今度一緒に買い物行こうぜ。選んでやるよ」
「あーーそうだな……」
「あーー!そうか。でも、まぁ今までの服に比べたらマシなんじゃね?」
「あーー? 何だ? その適当な意見はよ」
「あ、空光った」
「んーー?」
「ね、アタシ……実はアンタの事好きだったんだよ」
「ごめん。俺好きな子いるんだよ。ツーーカ前に言って無かったっけか?」
「えーー! もう終わりなんだからウンって言ってくれてもいいじゃん!」
「ダメ。こればっかりは譲れないね!」
「で、その子とはどうなのよーー?」
「死んだよ」
「あーー」
「じゃあアタシにしときなって? 結構尽くすタイプだったりするんだよーー?」
「嘘つけ!」
「あーー!それ酷くね?」
「お、空光った」
「誤魔化さないでよねーー?」
「マジだっての」
「あ、今のそう? 空、光ったよね?」
「ねぇ、兄さん」
すっかり痩せて別人のようになってしまった兄さん。
「んーー?」
「外行こうよ。川原の方行ってみよう」
「んーー。気分じゃ無いな。一人で行って来いよ」
兄さんの手を掴む。細い。
「行こうよ。一緒にアンテナ見よう」
「アンテナ?何だそれ?」
兄さんの手を掴む。
「川原へ行こうよ」
コンビニの袋を見せる。力を入れると簡単に折れてしまいそうだ。
「外でご飯食べようよ」
「んーー」
兄さんの手を掴む。でも、柔らかい。
「アンテナ、綺麗だよ?」
川原に腰掛ける。どんよりと濁った川。腐臭がする。
川原に続く薄汚れた階段に腰掛ける。
どんよりと曇った空。
「ほら、光った」
兄さんは何も言わない。うつむいたまんま力無く座っている。
「空、見て」
兄さんの頭をグイと掴んで上を向かせる。
「あ。ほら」
兄さんは何も言わない。
「あ。又光った」
兄さんは何も言わない。
時計を見る。時間が無い。
ねぇ、兄さん? 兄さん? 兄さん?
「ほら、あそこにアンテナがある」
兄さんは何も言わない。
「今日も形が変わってる。最後まで工事の人は頑張るんだなァ……」
兄さんの頭をグイと掴んでアンテナの立っている方に向かせる。
「ほら、あそこにアンテナがある」
「……何を言っているんだ?」
兄さんが困った顔をしている。
「父さんと母さんを困らせるような事はするな」
「父さんは今会社が大変なんだし、母さんも仕事で疲れている」
「只でさえお前は成績が悪くて二人を心配させているんだ。分かるか? 言っているだろう?」
「世界の終わりの話はもうするな」
「……兄さん?」
兄さんからダラリと力が抜ける。うつむいたまんま力無く座っている。
「敦子……」
「……兄さん?」
兄さんの頭をグイと掴んで僕の方へ顔を向かせる。
「あのね、ゆっくり言うから聞いてね?もうすぐね終わりが始まるんだ。本当にもうすぐ。え……と後三十六分だ。終わりはとっても痛いんだ。しかも長く続くんだ。兄さんは痛いの嫌だよね?」
兄さんは何も言わない。
「痛いの、嫌だよね?」
兄さんは何も言わない。兄さんはうつむいたまんま力無く座っている。
「敦子……」
兄さんと身体をピッタリくっつけて座る。遠くに見える細く高く繊細で複雑な形をしたアンテナ。
楽しそうな親子連れの声が聞こえる。
「光った! 光った! お母さん、ほら、空が又光った!」
「わぁ! 本当だ! ねーー! ママー見てーー!」
「もう、そんなに速く走ると絵里ちゃんが転んじゃうでしょ?」
「いいのよーー。咲ちゃん、絵里、ほら、見て又光った!」
「もう、咲ったら……御免なさいね。余り遠くへ行っちゃ駄目よ」
終わりが、始まる。本当に、始まる。身体の中がチリチリする。
「咲?」
「お母さん……。痛い」
「咲ちゃん、咲ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ咲。お母さんも痛いから。咲ちゃんのお母さんも一緒よ? ねぇ?」
「そうよ。大丈夫。皆痛いの。ね、咲ちゃん?」
「痛いよぅ……痛いよぅ……」
「兄さん? もうすぐ始まるよ?」
兄さんは何も言わない。
「父さんも母さんも帰って来なかったね。あーー家族と一緒が良かったーー」
伸びをする。さぁ。後15分位。
兄さんの身体をグイと引き寄せる。
兄さんは何も言わない。兄さんはうつむいたまんま力無く座っている。
兄さんの頭をグイと掴んで僕の方へ顔を向かせる。
そっと兄さんの唇に口付ける。ゆっくり崩れ落ちる兄さんの身体を優しく抱きしめる。兄さんの身体からナイフを引き抜く。
兄さんの身体からどくどくと流れ出る液体を口に含む。兄さんの身体からどくどく流れ出る赤い液体を自分の体中に塗りたくる。とても良い気分になる。
胸が熱くなる。
僕の胸に突き刺さったナイフ。兄さんの目が鋭く光っている。
「クソ……やりやがったな……」
ゴホ!
「良かった……本当に良かった……良かったよ。兄さん……」
兄さんの身体を抱き締める。
力が抜ける。ああ……ああ……ああ……もっと強く抱き締めたいのに。
兄さんの身体から力が抜ける。
「何が……良かっただよ……テメェ……何考えてやがるんだ……畜生……い……痛ェ……」
「良かった……良かった……良かった……本当に……」
兄さんの為に買ったとっておきのナイフ。それが僕の胸に突き刺さっている。兄さんの手で!
僕の命は終わろうとしているのに。本当に終わろうとしているのに。
「あ……あれが……お前が言っていたアンテナか……クソ……本当にあるなんてな……」
「……ウン。そう……」
力が抜ける。
アンテナに明かりが灯り始める。
「始まった……よ……」
「そうか……」
兄さんが僕の背中に腕を回す。
身体が熱くなる。胸が熱くなる。涙が止まらない。止まらない。止まらない。
チリチリチリチリチリ。
一緒に溶ける。溶けて一つになる。一つになる。一つになる。一つになるんだよ。
チリチリチリチリチリ。
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