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思慕のイド
 悲鳴を上げてイトが倒れる。
 ここで安心してはいけない。マニュアルに書いてある通り頭を潰さなければいけない。鉄パイプを力いっぱい頭目掛けて突き刺す。何かが砕ける感触。イトの身体がビクビクと痙攣する。鉄パイプに力を込める。二度と生き返って来ないように。祈りを込めて。
「出来たじゃん」
 兄さんが笑う。
「じゃあ、次」
 イトの身体を足で転がす。
 イト。体中から糸ゴンニャクのような半透明で茶色い糸が生える病気に掛かった人。とても生臭い。
 イトの身体に触れる。二枚重ねにしたゴム手袋を通してグニャリとイトの感触が伝わる。気持ち悪い。
「よし」
 鞄の中から包丁を取り出す。力任せに腹を突き刺す。
「ャアアアアアアーーーーーーッッッッッッ!!!!!!」
 失敗だ。思わず尻餅をついてしまう。怖い。震えが止まらない。後ずさる 。
 殺し切れなかった。まだ生きている。頭は鉄パイプで固定されている。手足をばたつかせながら鉄パイプを中心にぐるぐる回る。でこぼこの地面にこすられて半透明で茶色い糸が身体からバラバラ抜け落ちてそこからじわりとどろりとした液体が流れ出る。無数の半透明で茶色い糸がビクリビクリと脈打つ。
「……回ってる」
 兄さんが笑う。嘔吐感がせりあがってくる。もう、無理だ。
 
 イトを置いてその場から逃げ出した。
 
「……又、失敗?」
「もう、何日食べてない?」
「まだ、慣れる事が出来無いだなんておかしいんじゃないか?」
 兄さんが笑う。
「明日、頑張るよ」
 
人気の無い商店街を歩く。

 住処に帰って冷たい水で体中を洗う。イトの生臭い臭いは強烈で洗っても洗ってもなかなか落ちない。
 病気に掛からない体。死ねない体。恵まれた体。(恐らくは)
 兄さんは病気になってしまった。イトじゃあ無かったのだけれど。体中がずるずると溶けるドロになってしまった。
 だから、父さんと母さんが兄さんの首から下を切り落とした。殺してしまうのは可哀想だからと言って。でも殺さないと死ねなくなってしまう。どんな姿になっても生き続けなければいけなくなってしまう。
 兄さんを洗う。ドロになってしまった兄さん。首だけになってしまった兄さん。
「顔が全部溶ける前で良かったね」
 こう言うと兄さんは本当に嬉しそうに笑う。笑う事しか出来ない兄さん。
 乱暴に兄さんに口付ける。
「口で、してくれる?」
 困った顔をする兄さん。無理矢理突っ込む。口の中が半分溶けたまんまで不思議な感触が気持ちいい。
「大好きだよ」
 父さんと母さんは親戚と一緒に遠くの県へと避難した。僕ら子供達を置いて。子供の方が病気に掛かりやすい。親戚の子供達は皆病気になってしまった。
 ある日ポストに入っていたマニュアルには化け物の種類と殺し方が書いてあった。病気の元を役場に持って行くと食べ物と変えてくれる。役場に住んでいる弘子という女は頭は変で話が全く噛みあわないけれど結構可愛い。
 痛い。噛み付かれた。
 兄さんは妙に勘が鋭い。そうして結構粘着質な性格をしている。一度へそを曲げると中々機嫌を直してくれない。一寸考えただけなのに。いつ役場に行けるか分からないのに。兄さんの頭を激しく前後させる。
 兄さんの口に吐精する。

「有難う。兄さん」
 兄さんの口の中を丁寧に洗う。兄さんに優しく口付ける。
「明日、頑張るよ」
 兄さんを抱えて毛布に包まる。
――どこかで悲鳴が聞こえる。

トラベルミン